クロは、想像もしていなかったことに動揺する。

なぜ魚乃が水槽ここにいるのか、適当な理由が思い浮かばない。

【クロ】
(この時間に、巡回も掃除もないはずなのに……)

いやそもそも、彼が水槽に入ってくることなど、今までに一度もなかったことだ。

水面の向こう側にいる、ガラス越しにしか会えない、違う世界に棲む人――……。

【クロ】
「どうして……?」

疑問は多いが、その答えを知る術をクロは持ち合わせていない。

けれど、確かに魚乃は今、クロの世界水槽にいる。

ガラス越しにあった世界が交わり、こんなにも近くに存在していることに、クロは身を震わす。

嘘みたいだ、と思った。

【魚乃】
「…………」

意志の強そうな濃い眉、陸に棲む哺乳類ならではの、ヒレや鱗がないしなやかな筋肉。

それでも、人が水に入るときに身を覆う皮フは、普段よりも肉体のラインをはっきりさせ、身体を艶めかせている。

それが、どこかクロたち海の生物に近いようにも
感じさせた。

【クロ】
(なんて美しいんだろう)

ずっとクロが望んでいた二人だけの空間は現実味がなく、どこか夢をみているようでぼうっとする。

【クロ】
(もっと近くで顔が見たい……)

クロは酩酊した気分のまま、吸い込まれるように魚乃に近づく。

顔がみたくて、下から覗き込んだ。

けれど、黒真珠のような艶めく瞳に映る自分自身と目が合った途端――、

【クロ】
(ダメだ、ダメ……っ!)

クロは逃げるように旋回する。
クラクラする自分を必死に戒めた。

これ以上、近づいてはいけない。

自分と違う種族で、どんなに焦がれても望んでも、結ばれることのない相手だ。

距離を縮めるほど、クロ自身が辛くなるだけ。

【クロ】
(……何度もそう言い聞かせただろ、俺……)

そうやって心を殺し、水槽に降り注いで積るマリンスノーのように、自身の奥深くに沈め、他の躯と一緒に埋葬すると決めた。

なのに、今なお持続する強い想い。

どんなに深く沈めても、いつまでも消えることなく、治まることなく、

ただ煮詰まり続け、魚乃を目にしたらすぐ我慢ができず浮上する。

なんて浅ましいのだろう。

【クロ】
(このまま振り向かず、泳ぎ続けなきゃ……)

冷静になるためにも、
今のクロには必要なことだった。

【クロ】
(……ごめんなさい、魚乃さん)

未練を断つように、魚乃から離れる。しかし、

【クロ】
(なんで……)

魚乃は身を翻しクロの前に出ると、スピードを調整し今度はクロに寄り添った。


※イベントCGとシナリオは開発中のものです。